特別講座

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研究テーマ:超高速分光による光化学反応ダイナミクスの解明

メンバー

特定助教 唐島 秀太郎
特定研究員 小原 祐樹
学振外国人研究員 Alexie BOYER
特定研究員 Srijon Ghosh
特定研究員 Alexander Humeniuk

研究内容

化学反応は、分子を構成する電子と原子核の運動を分け(Born-Oppenheimer近似)、高速な電子運動が与えるポテンシャルエネルギー曲面(地形)の勾配にしたがいながら、原子核が時々刻々と位置を変化させる運動と考えることができます。ただ、化学反応(特に励起電子状態を起点とする光化学反応)は単一のポテンシャルエネルギー曲面(電子状態)で表すことができることは殆どありません。反応は、ほぼ例外なくポテンシャル曲面間の乗り移り(非断熱遷移)を経て進行します。そのため、反応の経路、確率、分岐比の大部分は非断熱遷移によって決定されます。例えば、図1は1,3-cyclohexadiene(CHD)から1,3,5-hexatriene(HT)への電子開環反応の模式図を示していますが、この反応は、分子軌道の対称性と化学反応経路の関係を示したWoodward-Hoffmann則に従う反応の代表例です。CHDの光励起によって、分子の環が開裂して基底電子状態のHTが生成するのですが、注目すべき点は、光吸収によって到達するCHDの電子励起状態(11B)のポテンシャル曲面がHTの基底電子状態(11A)には繋がっていないことです。HTの基底電子状態は、二電子励起状態(21A)を介した2回の非断熱遷移を経てはじめて生成が可能になります。最近の我々の研究で、このCHD分子の開環反応が二電子状態を経ること、そして反応がわずか60 フェムト秒(6 × 10-14秒)以内に起こることが明らかになりました。

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図1 CHDの電子配置と開環反応に関与する電子状態のポテンシャル曲面の模式図

ところで、化学者は化学反応の最も基本的な制御方法として溶媒効果を用いていますが、溶媒は果たしてどのようなメカニズムで反応を変化させるのでしょうか。溶媒の静電的な特性(電荷や分極)が溶質の電子状態のエネルギーを変化させる効果に加えて、水のように水素結合による局所的な秩序構造や化学反応と同程度の高速応答を持つ場合には動的な効果が非常に大きいと考えられます。さらに溶質分子と水の間の電子・プロトン移動、あるいは溶質の電子雲の溶媒への非局在化(電子雲の染みだし)は大きな影響を与えると考えられます。こうした溶質・溶媒を物理的に相互作用する存在として捉え、溶液反応の詳細を理解したいと考えています。生体細胞の70%は水であり、地球表面の70%は海洋です。生命・環境・エネルギー等の広汎な分野にとって、水溶液中あるいは気液界面の化学反応ダイナミクスの重要性は論を待ちません。当研究室では、気相孤立分子に関する詳細な研究の蓄積を基礎に、溶液・界面化学を解明することを目的とし、光化学反応を極限的な時間分解能を持つXUV光電子分光によってリアルタイム観測し、反応途上に起こる電子状態の高速な変化と反応経路を明らかにする研究を進めています。

研究テーマ

● 気相、液相、気液界面の化学反応ダイナミクス
● 高速な電子状態変化(非断熱遷移)を含む化学反応のリアルタイム観測
● 水溶液中・気液界面での化学反応機構、溶媒効果の解明

実験方法

1. 気相・液相分子の超高速極端紫外光電子分光

紫外光によって気相あるいは液相の分子を光励起し、その後の化学反応を極端紫外光パルスによる光電子分光によってリアルタイムに追跡します。極端紫外光は高次高調波発生(HHG)と呼ばれる手法で、テーブルトップのレーザーから発生されます。その光子エネルギーは20 eV以上あり、あらゆる過渡化学種のイオン化エネルギーを超えるエネルギーを持つため、全ての過渡化学種や生成物のリアルタイムな検出を可能にしています。同一の分子を気相と液相で比較することによって、溶媒の与える化学反応への影響が解明できます。2023年に発表した核酸塩基の超高速電子緩和過程の研究では、気相孤立分子と水溶液中の核酸塩基について大きく異なるダイナミクスと反応時間を観測し、明瞭な置換基交換を明らかにすることに成功しました。

2. 液相分子の赤外・可視紫外過渡吸収分光

光電子分光は、分子内の電子状態変化を追跡する強力な手段ですが、分子構造や振動周波数に関する情報は限られます。そこで、サブピコ秒の時間分解能で赤外過渡吸収分光を行い、反応途上にある分子の振動スペクトルを観測しています。また、可視紫外の過渡吸収分光は、光電子分光では識別しにくい化学種あるいは状態を研究する上で有効な情報を与えます。光電子分光が全ての分子を観測できるように、赤外分光も(分子振動をもたない分子が無いことから)あらゆる過渡化学種と生成物が検出できる利点があります。

3. 新光源・実験手法の開発

液体の超高速光電子分光は、気相の光電子分光と比較して空間電荷効果(光電子同士の反発)の影響を受けやすいため、100 kHzレベルの高繰り返し光源による極端紫外光発生を行っています。また、時間分解能を極限的に高める方法の開発においては、レーザーパルスを10 fs程度まで時間圧縮して、これまでに無い高い時間分解能で極端紫外光電子分光を行う研究を進めています。

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図2 磁気ボトル飛行時間型光電子エネルギー分析器

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図3 Yb:KGWレーザー励起 高繰り返し高次高調波発生装置
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図4 フェムト秒ブロードバンド赤外過渡吸収分光装置