有機金属構造体(MOF)は金属同士を有機物がつないで作る多孔性物質です。2025年ノーベル化学賞を受賞するなど次世代の多孔性材料として注目されています。 これまでたくさんのMOFが合成・報告されていますが、その経路やメカニズムに一般的な理論が存在しないなど、合成過程には様々な謎が存在します。 私たちはMOFの合成過程について、固体NMRを活用してその詳細を明らかにしようと取り組んでいます。Vapor-assisted法と呼ばれる合成法によると同じ出発物を用いて異なる溶媒を用いることで複数のMOFを作り分けることができると知られています。 私たちはそのうちの2種類のMOF(MOF-74&UTSA-74)について合成過程のex-situ測定を行い、それぞれ特有の中間体を経由することを明らかにしました。 合成過程における溶媒の役割や作りわけの仕組みについて知見を得るべく現在も取り組みを続けています。
MOFは新たな触媒材料としても注目されています。 中でも私たちはMOF-74の持つ水素分子のオルト・パラ変換能に着目しています。 オルト・パラ水素は水素分子の核スピン異性体といわれ、2つの水素原子の持つ核スピンの向きによって区別されます。 特にパラ水素はPHIPといわれるNMRの超偏極手法における偏極源として用いられることから、高濃度のパラ水素を簡便に得ることに高い需要があります。
私たちは、中でも特に高い触媒能を持つNi-MOF-74を用いた小型のパラ水素生成器を開発し、PHIPの実験が手のひらサイズの装置で実行可能であることを実証しました。 また、Ni-MOF-74の触媒能について正確な評価を行い、既報と異なる最適な条件においては既存の触媒を5桁近く上回る劇的な触媒能を持つことを示しました。 また、オルト・パラ変換において、固体触媒が単なる変換の加速だけでなくエネルギー平衡を上回るパラ水素の濃縮を行っているという新しいモデルを提案しています。 現在も新しいパラ水素生成器の開発、複数のMOF-74における触媒能の測定、パラ水素を用いたゼロ磁場NMRなど、様々な研究に裾野を広げて取り組みを続けています。
私たちは、粉末試料を用いた四極子核の“単結晶”NMR測定を実現しました。 これにより、NMR測定に必要なサイズの単結晶を得ることなく、単結晶NMRの利点を活かして電子状態を探る計測が可能となりました。 スピン量子数が1/2より大きな原子核は四極子モーメントをもち、そのNMR信号は核周辺の電子分布に由来する電場の勾配によって決まります。 したがって四極子核NMRは、電子状態や局所構造の情報を探ることができる極めて有用な計測です。 しかも、四極子核は周期表における全元素の7割以上を占め、原理的には非常に広い物質群への応用が可能です。 しかし現実には、四極子相互作用は数 MHz〜数十 MHz にも及び、粉末試料では各微結晶のランダムな配向を反映して、絶望的に広幅なスペクトルとなります。 さらに、単結晶NMRに必要な mm サイズの単結晶を得ることは一般に困難であり、四極子核NMRには本質的な制約がありました
そこで私たちは、磁気的に配向した微結晶試料を四極子核NMRと融合させました。 粉末試料は様々な方向を向いた微結晶の集合です。これを粘性溶媒に分散させ、磁場中で変調回転させると、異方的な磁化率を持つ微結晶は磁場応答の方向依存性に従って一意の方向に向きを変えます。 その結果、試料中の全ての微結晶の配向を三次元的に揃えること(擬単結晶化)が可能となります。 これは Magnetically Oriented Microcrystal Suspension (MOMS) [1]として知られ、粉末試料から”単結晶ライクな”高感度・高分解能NMRスペクトルを得ることができます。従来、MOMSのNMR測定はスピン1/2核で実現されていました。 私たちはこれを四極子核に拡張するために、四極子核のNMR信号をカバー可能な検出プローブの開発、NMR信号の磁場−試料角度依存性の数値解析を行い、実験環境を整え実際の測定に取り組みました。 検出プローブの故障や配向条件の最適化不足による結晶配向の不良、結晶配向を達成してもなお広幅な信号が残るなど多くの課題に直面しましたが、L-アラニンの 14N核(スピン量子数1)を用いて粉末試料から単結晶四極子核NMRを実証しました[2, 3]。 この成果は、粉末試料でも単結晶相当の四極子核NMR測定が可能であることを初めて示したものです。 今後は様々な物質系への適用やMOMSのESR、磁気浮上体(グラファイト)への応用など、NMR分野にとどまらず幅広い分野への展開が期待されます。
[1] R. Kusumi, H. Kadoma, M. Wada, K. Takeda, T. Kimura, In situ solid-state NMR of a magnetically oriented microcrystal suspension, Journal Magnetic Resonance 309 (2019) 106618
[2] T. Kamide, Y. Noda, K. Takeda, 14N NMR of magnetically oriented microcrystals, Solid State Nuclear Magnetic Resonanc 131 (2024) 10192410.1016
[3] R. Kusumi, K. Takeda, T. Kimura, NMR of magnetically oriented microcrystals, Solid State Nuclear Magnetic Resonance 140 (2025) 102033.10.1016
通常NMR信号は、ラジオ周波数(radio-frequency: rf)の電気信号として検出されます。私たちは、信号をrfから光の領域にまでアップコンバートして、従来の電気的な検出に比べて高い感度でNMR信号を検出することを目指しています。
私たちは、高応力窒化ケイ素薄膜を用いて、rfを光に変換する装置を開発しています。薄膜はトランポリンのように振動します。真空蒸着で薄膜に金属の層をコーティングします。金属層には2つの役割を担わせます。ひとつはキャパシタの電極、もうひとつは光学鏡です。キャパシタはNMRコイルと電気的に接続して共振回路を形成します。また薄膜上の鏡は凹面鏡と組み合わせて、光共振器を形成します。NMR現象に伴い回路に発生する誘導起電力によって、薄膜振動子が揺さぶられます。また、薄膜振動子が揺さぶられると、光共振器の共振器長が振動に同期して変化します。したがって、光共振器にレーザー光を入射して、反射光を検出すると、そこにはNMR信号が乗っかっているのです!このようにして、NMR信号を電気的(Eletro)->機械的(Mechano)->光学的(Optical)なものに変換するアプローチを私たちはElectro-Mechano-Optical (EMO) NMRと呼ぶことにしました。2016年10月、ついにEMO NMRを実験的に実現することに成功しました。現在も性能の向上や応用を目指してプロジェクトを継続しています。
NQRの困難な点は共鳴周波数を見つけることにあります。NQR信号の探索において、共鳴周波数が励起パルスの帯域幅の範囲内にいる場合にNQR信号が見つかります。ところが励起パルスの帯域幅は検出回路の帯域幅よりもずっと狭いことが多いです。したがって、周波数を少しずつ変化させては、何度も観測を試みる必要があります。
私たちは、効率的なNQR信号の探査方法を考案し、その有効性をデモンストレーションしました。ポイントは、rapid scan励起とコム変調を組み合わせることにあります。レーザー分光で知られているように、コム変調によって搬送波の帯域幅を拡張することができます。実際、コム変調をrapid scanに適用すると、励起帯域を何倍にも拡張できます。また、コム変調によって、励起パルスにギャップが生じます。そのギャップを信号のサンプリングに有効活用することができます。すなわち、広帯域励起を行いながら同時に観測も行えるのです。
ただし、たとえコム変調によって広帯域励起ができて同時に観測までできても、観測の帯域に関しては限られたままです。NQR信号が見つかっても、真の信号なのか、折り返しの信号なのか区別がつかず、一位的にNQR信号の周波数を決定することができません。それでもいいのです。このとき、拡張された励起帯域内に信号が存在するかどうかを判定できるだけでも、大きなアドバンテージがあります。信号が見つからなければ、次の励起帯域を同様の手法で広帯域探査していけばよく、信号が見つかった時にのみ、追加で測定を行えばいいのです。追加測定は、コム変調励起を途中まで行い、その後信号の標本周期を十分に短くして、データを取得することによってNQR周波数を特定することができます。
このようにして行う2段回のNQR信号探査は従来の探査よりも効率が良いことを示しました。
この研究を報告した論文がPCCP(Physical Chemistry Chemical Physics)の2020 HOT Articlesに選ばれました!
Y. Hibe, Y. Noda, K. Takegoshi, K. Takeda,
Rapid survey of nuclear quadrupole resonance by broadband excitation with comb modulation and dual-mode acquisition, Phys. Chem. Chem. Phys. 22 (2020) 25584–25592,10.1039/D0CP05309K
拡散とは、拡散方程式に従う空間的な輸送現象の総称です。粒子の拡散(文字通りの拡散)や熱伝導(熱エネルギーの拡散的輸送)がよく知られています。固体NMRの文脈においてスピン拡散とは、拡散方程式にしたがう、原子核スピンに起因する磁化の空間的輸送、と定義することができます。スピン拡散という概念が提唱されて以来、既に70年以上の年月が流れていますが、固体NMRにおけるその重要性は現在も変わりません。スピン拡散は固体における核磁化の緩和や動的核偏極に本質的に重要な役割を担っています。
スピン拡散の場合、その駆動力の源は同種核スピン間の双極子相互作用のネットワークであることが分かっています。また双極子相互作用は、原子核の空間的配置によって決まります。したがってスピン拡散の拡散係数は、固体中の原子核の座標によって決まる、すなわち構造によって完全に規定されると信じられてきました。
私たちは、核スピンが超偏極状態になった場合にはスピン拡散係数は構造だけではなくスピン偏極率にも依存することを理論的に示しました。従来のスピン拡散に関する理論は皆、高温近似が用いられてきました。私たちは、スピン拡散に関するLowe-Gade理論を低温すなわ超偏極状態にまで拡張し、スピン拡散係数偏極率とともに増大することを理論的に予測しました。これは、スピン系の偏極率が上がるほそスピン拡散による核磁化の輸送が加速されることを意味します。近年の動的核偏極の普及とともに、超偏極実験の重要性がますます大きくなってきています。この研究の成果は今後の動的核偏極やスピン緩和の研究に重要な洞察を与えることになると私たちは信じています。
この研究成果は、New Journal of Physicsに掲載されました。
Y. Wang, K. Takeda,
Speedup of nuclear spin diffusion in hyperpolarized solids,
New J. Phys. 23 (2021) 073015,
10.1088/1367-2630/ac0d6e