.溶媒和の揺らぎと局所的な溶媒和

超臨界流体での溶媒和に関連して、数多くの分子の電子遷移スペクトルの研究が報告されているが、その多くはピークの密度依存性の定性的な議論、あるいは吸着モデルを用いた単純な局所密度による議論にとどまり、分子内振動構造や、溶媒和再配向エネルギー、あるいは電子移動速度の密度変化を検討したものはほとんど存在しなかった。我々は、これまでに共鳴ラマン分光法を超臨界流体に適用し、分子振動に対する溶媒効果からこれらの問題に対し典型的な答えをだしてきた。

例えば典型的なソルバトクロミズムを示す分子であるフェノールブルーに対して、超臨界流体を含む種々の溶媒中での電子遷移吸収および共鳴ラマンの測定をおこない、電子遷移エネルギーと分子内振動数の溶媒によるシフト及び揺らぎに線形の相関がある実験的証拠をはじめて提示した(図は種々の流体中でのラマンストークスシフトと吸収のピークを比較したもの)

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では、超臨界水や超臨界アルコールのような水素結合性の超臨界流体ではどのような現象がみられるであろうか?超臨界水や超臨界アルコールは高温、高圧の実験が必要となるため、その溶媒効果に関しては非常に限られた研究しかなかった。われわれの研究グループでは、超臨界水に対してラマン分光法が適用できる高圧実験システムを構築し、種々の分子について興味深い溶媒温度、密度依存性を見出している。

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  典型的な例としてp-ニトロアニリン(pNA)のラマンスペクトルを測定した結果を紹介する。pNAは分子内に電子供与性のNH2基と電子吸引性のNO2基をもつ典型的なpush-pull型の分子であり、超臨界水や超臨界アルコール中で電子スペクトルのソルバトクロミズムが検討されてきた。これまでの電子スペクトルの研究では、これらの流体中での水素結合の寄与は小さいといわれている。はたしてそれは本当であろうか?我々は、これらの置換基に特異的なラマンバンドすなわちNO2伸縮振動ならびにNH2伸縮振動を検討し、その評価に成功した。

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下図はNO2伸縮振動の測定結果である。スペクトルは超臨界領域の水中でのNO2伸縮振動の測定結果である。下に行くほど密度の低い状態となる。密度が下がるにしたがって高振動領域にシフトしていくことがわかる。常温からみると、一旦低振動側にシフトしてから高振動領域にシフトすることがわかる。この振動数シフトの様子は吸収スペクトルのシフトと非常によく相関していることがわかった。左の図は両者の相関を示したものであり、溶媒の種類にかかわらず非常に良い相関を示していることがわかる。このことはNO2伸縮振動の振動数が、基底状態におけるpNAの電荷分離状態に強く影響を受けていることをしめす。詳細な電子状態計算の結果、この振動数の変化は観測されるNO2バンドには実はNO2の伸縮振動とC-NH2伸縮振動の両方のモードの寄与があり、両者の寄与の比が電子状態により変化することに由来するものであることがわかった。

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 NH2伸縮振動の変化はこれに対して、より局所的な情報を反映することがあきらかとなった。下左図は超臨界領域を含むエタノール中でのNH2伸縮振動の様子を表す。常温付近ではNH2伸縮振動はおそらくフェルミ共鳴により分裂している。超臨界領域に近づくにつれて低振動側のモードは強度を失い、ひとつのバンドとなることがわかる。先ほどのNO2伸縮振動の場合と同様に吸収スペクトルのシフトと相関をとったのが右図である。図に示されるように超臨界状態のエタノールやメタノール中では、おなじ吸収スペクトルをしめすベンゼンや四塩化炭素と比較して低振動側にシフトしていることがわかる。このことは、超臨界アルコール中にはNH2と溶媒分子の間に水素結合が存在していることを強く示すものである。

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 超臨界アルコール中での溶質溶媒分子間の水素結合の強さの評価を試みたのが下図である。図中の△はNMRによってHofmannらがみつもった溶媒エタノール分子間の水素結合の強さである。一方図中の●はNH2伸縮振動数の密度変化を表したものである。両者の密度変化は類似していることがわかる。低密度領域での大きな密度変化が超臨界流体に特徴的な局所密度増加に対応する。溶質溶媒分子間の水素結合度の変化が溶媒分子間のものと比較して非常に大きいことがわかる。

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 我々はpNA分子以外に、現在p-aminobenzonitrileCN伸縮振動を対象に詳細な検討をおこなっており、そこでは電荷分離による効果と、水素結合による効果の競合による複雑な振動数変化が観測されている。またそのほかにbennzophenoneCO伸縮振動の特徴的な密度変化、反応中間体ラジカルのラマンバンドの変化などの観測をおこない、超臨界水中での溶媒効果の詳細を振動スペクトルから明らかにしつつある。

 また京都大学工学部の佐藤准教授と共同で、これらの振動スペクトルや電子遷移にかかわる超臨界水の効果を理論的に取り入れる手法について研究を進めている。

 

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