イオン液体中での分子ダイナミクスと溶媒和

 

 カチオンとアニオンから構成されるにもかかわらず常温で液体状態で存在するイオン液体は、その特異な構造や性質により広く興味を持たれ、様々な分野で研究が進められている。我々の研究グループでは、過渡回折格子法ならびに共鳴ラマン分光法を用いて、イオン液体中での溶媒和や分子ダイナミクスの研究を進めている。主なテーマとしては

 

()イオン液体中でのエネルギーダイナミクスと構造緩和

()イオン液体中における並進拡散に対する溶媒効果

()ラマン分光法によるイオン液体中での溶媒効果

 

が挙げられる。

 

 ()イオン液体中でのエネルギーダイナミクスと構造緩和

 イオン液体の特性として、溶媒分子同士が強いクーロン相互作用により引き合うため、非常に粘性が高いことが挙げられる。このような粘度の高い環境中で化学反応がどのようにすすむか非常に興味が持たれる。またエネルギー散逸過程において、クーロン相互作用がどのような効果をもたらすかといった点にも着目して、我々はトリフェニルメタン系の色素の一種であるマラカイトグリーン(MG)をプローブ分子とし、その光励起後の内部転換過程ならびにエネルギー散逸過程の考察を行った。

 

ここではフェムト秒の過渡回折格子(T)法による測定を試みた。チタンサファイアの再生増幅器の出力を利用して、390nmS2バンドを励起後光励起後のダイナミクスを780nmの基本波でプローブした。

 図に今回用いた三種類のイオン液体中でのポピュレーショングレーティングによる信号を示す。図に示されるように、信号はおおむね5ピコ秒以内に減衰することが明らかとなった。この信号の減衰はS1状態からS2状態への内部転換過程に対応するものと考えられる。通常のアルコール溶媒ではMGS1の寿命は溶媒の粘度に依存して変化することが知られている。たとえばメタノール(0.56cP)中では0.5ピコ程度の寿命であるが、ブタノール(2.9cP)では2.3psと遅くなる。これはMGのフェニル基の回転運動が、内部転換過程に寄与しているからであると考えられている。しかしながらイオン液体中ではその粘度の大きさにもかかわらず、非常に速い内部転換過程を示すことがわかる。([BMIM][(CF3SO2)2N] 45 cP, [BMIM][PF6] 256cP, [BM2IM][BF4] 513cP)。このことはフェニル基の回転運動のような局所的な運動に対してはイオン液体のバルクの粘性は摩擦力の指標とはならないことを示している。

 ポピュレーション信号のあとに見られる音響信号の様子を示す。解析の結果、この音響信号はMGの振動緩和過程による熱の放出過程だけでは説明することのできない信号を含んでいることが明らかと成った。ゆっくりとした立ち上がりをしめすこの成分は、イオン液体の構造緩和によるものと考えられる。すなわち、MGの振動緩和による熱放出によってイオン液体の温度が上昇し、それによってイオン液体が新しい構造平衡状態へと移行する。この構造変化がTGによって捉えられた。これまでこのような構造緩和の寄与は過冷却状態やガラス状態の液体に関して報告されているが、イオン液体に対しては今回が初めての報告である。

 

() イオン液体中における並進拡散に対する溶媒効果

 

現在構築中

 

() ラマン分光法によるイオン液体中での溶媒効果

 イオン液体中の分子の溶媒和に関してはソルバトクロミズやダイナミック蛍光ストークスシフトなどの測定により盛んに研究が行われているが、イオン液体中の溶質分子の振動構造にまで踏み込んで研究を進めた例は少ない。我々はラマン分光法によりイオン液体中での溶質分子の振動構造に関して検討を進めている。

図に測定をおこなった分子の一例を示す。図に示すようにPBの吸収スペクトルはイオン液体中でちょうどメタノールと同じあたりにピークを示す。PBのラマンスペクトルにおけるC=N伸縮振動の振動数と吸収ピークの位置との相関を種々の溶媒についてとると、イオン液体の結果は通常の液体中でみられる相関にのることがわかる。一方でC=Nの線幅について同様のプロットをおこなうと、通常の液体とは異なる依存性を示すことが見て取れる。このことはイオン液体中でPBが感じる平均場は通常の液体と類似しているがその揺らぎの大きさが異なることを示しており、興味深い。

 

 このような現象が他のプローブ分子に対しても得られるかどうか研究を進めている。