不均質大気化学での理論化学

森田明弘

私は昨年から不均質大気化学の研究に着手し、今後の研究の柱の一つにしていくつもりでいます。この分野は今後大いに発展が予想されるとおもいます。ではなぜ不均質大気化学なのか、その考えを述べてみます。

大気化学の最大の目標の一つは、地球大気の化学的特徴や組成などを空間・時間の関数として理解することです。そのために従来から3つの分野から構成されてきました。(i) 地球大気の観測、(ii) 大気環境の実験室での研究、および(iii) 流体力学に化学反応などを含めた大気のモデル化、です[1,2]。そこで、電子状態理論や分子シミュレーションを武器とする理論化学は、どのような貢献ができるでしょうか。もし、大気化学を気相反応に限るならば、大気反応を構成する化学反応の反応速度や分岐比を明らかにすることが最大の役割になるでしょうし、それはそれで大きな問題です[3,4]。しかし、近年の不均質大気化学の興隆は、理論化学にも新たな役割をもたらしてくれました。それは気液・気固界面を反応場とする化学現象です。

ここでいう“不均質”(heterogeneous) とは、一般に大気中の気相と凝縮相の両方にまたがっていることを意味しています。大気中に浮遊するエアロゾルは、雲滴の形成核として重要であり、また太陽光の反射率への影響も大きく、大気の物理的性質にとって無視できないものですが[5,6]、その化学的重要性は比較的軽視されていました。その化学的意味が注目されだした最大のきっかけは、南極のオゾンホールでした。1970年代にフロンガスによる成層圏オゾン層の連鎖反応的破壊が指摘されて以来[7]、その脅威は潜在的に認められていたにせよ、1980年代に南極の春に成層圏下部のオゾン層が激減することが現実に発見されたときには[8]、非常な驚きをもって受けとめられました。それは、オゾン層破壊の環境的・社会的インパクトとともに、従来の大気モデリストたちが誰もそれを予想できなかったからで、それまでの大気モデルの共通の大きな欠陥を示していました。その欠陥とは、成層圏エアロゾル上での不均質化学反応を取り入れていなかったことであることがNOAAのS.Solomonによって指摘され、それは数年の内に事実として確立されました[9]。以後、オゾン層破壊における不均質化学反応の重要性は、南極のみならず中緯度成層圏や北極海上の大気でも明らかに示され[5,9,10]、これらの問題は90年代での大気化学の大きなトピックスとなりその流れは今も続いています[11]。

不均質化学反応を理論化学の眼から微視的に捉えると、ほとんど未開拓といってよく、気相反応はもとより通常の溶液内反応の問題と比べても、基礎的な問題が数多く残されています。不均質反応は、速度論的にはいくつかのステップに分けて議論されます[13]。すなわち、(1)気相中での拡散、(2)気相と表面間の吸着・脱離、(3)表面での化学反応と拡散、(4)バルクでの反応と拡散、ですが、ミクロにみて気相反応やバルクの凝縮相反応から不均質現象を区別する最も特徴的な過程は、上のなかの(2)と(3)であるといえます[14]。(2)の過程を実験的に特徴づける重要な量であるmass accommodation coefficient (a=0-1; 吸着されるflux / 衝突するflux) にしても、たとえばエタノール分子の水表面への熱的衝突の場合、実験では常温でa〜0.04 とされているのに対して[15]、理論およびシミュレーションからほぼa〜1(完全吸着)と示され[16,17]、その大きな不一致は今も議論されています。どちらをとるかで、mass accommodation の描像がまるで違ってくるからです。mass accommodation の興味深いモデルとして、nucleation に類似した臨界クラスターを実験的に示唆する人達がいますが[18]、それも今のところ理論やシミュレーションから裏付けられたものではありません[16]。また、(3)の表面での化学反応についても、表面反応の重要性を示唆する実験的データの蓄積[13]の上にたって、近年やっとその反応機構が理論的に研究されはじめられたところです。たとえば、南極のオゾンホール形成に重要な化学反応の一つ、ClONO2の加水分解(ClONO2 + H2O → ClOH + HNO3)の氷表面[19]での反応について、BiancoとHynesは媒体の氷格子自体が反応の触媒としてはたらくとして、プロトン移動と求核置換(SN2)の結合した新しいメカニズムを提唱しています[20]。

不均質大気化学の理解が比較的遅れている原因はいくつか考えられますが、その大きな一つに気液界面の構造がよくわかっていないことがあげられます。液体表面はその蒸気圧のために、固体表面のように超高真空下で調べることが普通出来ないため、実験手段が非常に限られています。表面張力や表面電位、ellipsometryなどは表面構造と強く関わっていますが[21,22]、ミクロな表面構造をプローブする手段としてはかなり間接的です。その意味で現在最も有力な実験手段は、おそらくsum frequency generation (SFG) スペクトルでしょう[23-25]。SFGは(双極子近似のなかで)表面にのみ選択的であり、しかもレーザー光が届くところなら真空を必要としません。いわば液体表面の振動スペクトルに対応し、光の分極方向をコントロールしてorientationを調べることもできます。ただし、その非経験的な理論的解析はほとんどなされていませんでした。それは、分子の振動数に依存した超分極率とその凝縮相中での摂動についての情報がなかったからです。そこでまず私達は、電子状態理論と分子動力学シミュレーションを用いてSFGスペクトルを解析する理論的方法を開発し、それを手始めに水表面に適用しました[26]。現在その理論をさらに洗練し、時間依存の形に発展させた新しい理論の開発を進めているところです[27]。

化学反応の場として興味あるエアロゾルは、必ずしも水や氷の表面とは限りません。例えば中緯度成層圏でのエアロゾルは、硫酸エアロゾル(H2SO4/H2O; 硫酸重量% 40-80%)が支配的で、オゾン層破壊にとって特に重要なN2O5の加水分解反応の場ともなっています[5,28]。他にも水を含んだ重要なエアロゾルとしては、硝酸3水和物や硝酸・硫酸・水の3成分系(polar stratospheric clouds, type I)や、海水に起源をもつmarine boundary aerosolなどがあり、それらはいずれも強いイオン強度(ときに強い酸性度)をもっています。marine boundary aerosol の表面構造の特徴が塩素放出の反応機構に反映されることを示した研究も最近になって現れました[29]。私達は硫酸エアロゾルの表面構造に興味をもって研究を始めていますが、これはなかなか難しい問題であることがわかってきました。硫酸エアロゾル表面のSFGスペクトル[30] をみると、最も特徴的なことは、水に硫酸を少し加えると表面OHの水素結合dangling bondに由来するシグナルが速やかに消えてしまい、成層圏でのような高濃度の硫酸溶液になるとOHの伸縮振動のシグナルが全くみえなくなってしまうことです。これについては相異なる2つの解釈がなされていますが[31,32]、決着がまだついていません。理論的にこの系を扱う際には2つの難しさがあります。

上の2つのうち、特に前者は大きな問題で、理想的なab initio MDでもできないかぎり、 何らかの経験的な手段をとるしかありません[36]。現在のところ、表面のイオン組成や構造を変化させて上記のSFGの理論を用いて、SFGの実験結果を最もよく説明できる条件を探す方針をもっています。

表面構造の研究は、その表面での化学反応機構の研究への直接の土台となります。反応機構の研究については、まず氷表面で示されたBianco・Hynesの反応機構[20] が他のエアロゾル表面や他の表面反応にもどの程度成り立つのかが、最初の課題となります。これは吸着した溶質分子を含んだエアロゾル表面構造を分子動力学シミュレーションで扱い、溶質周辺の構造をクラスターとして切り出し、電子状態計算で反応経路を追跡することによって、取り扱える問題です[37]。これは表面構造さえわかれば、相当に一般性をもって他の反応機構にも適用できる方法といえ、すでに私達は硫酸エアロゾル上でのN2O5の加水分解反応の研究を始めています[38]。

気液界面での吸着分子のダイナミックスの時間スケールは、しばしばmsecオーダーやそれ以上に及ぶため[14,39]、 直接的なシミュレーションでは限界があります。このような場合の常套手段は自由エネルギーカーブに基づく議論をすることですが、先に述べたmass accommodation coefficient の実験と理論の食い違いにも現れているように、自由エネルギー面の定性的な様子もまだ確立されていません。この場合、実験と理論が十分比較できるとは必ずしも言えないと思います。実験結果のαは気相中での反応分子濃度の時間変化からいくつかの仮定のもとに導かれたものであるのに対し、シミュレーションの結果は直接的にfluxを計算して求められます。(その代わり、シミュレーションでは短時間のダイナミックスしか直接には扱われていません[40]。) この問題の解決には、実際の(ある程度吸着後の)表面組成と構造を見積もってその吸着への影響を考慮することと、実験の解析に使われる仮定、とくに(1)-(4)のdecoupling の仮定[13]を吟味することがどうしても必要だと考えられます。


[参考文献と脚注]

 

[1] G. P. Brasseur, J. J. Orlando, and G. S. Tyndall, editors. "Atmospheric Chemistry and Global Change", Oxford Univ. Press, New York, 1999.

[2] "Atmospheric chemistry: Measurements, mechanisms and models", Faraday Discuss., 100, 1995.

[3] B. J. Finlayson-Pitts and J. N. Pitts, Jr. "Chemistry of the Upper and Lower Atmosphere", Academic Press, San Diego, 2000.

[4] R. P. Wayne, "Chemistry of Atmospheres", second edition, Oxford Univ. Press, New York, 1991.

[5] J. H. Seinfeld and S. N. Pandis. "Atmospheric Chemistry and Physics", Wiley, New York, 1998.

[6] H. R. Pruppacher and J. D. Klett. "Microphysics of Clouds and Precipitation", second edition, Kluwer Academic, Dordrecht, 1997.

[7] M. J. Molina and F. S. Rowland. "Stratospheric sink for chlorofuloromethanes: clhorine atom-catalyzed destruction of ozone", Nature, 249 (1974) 810-812.

[8] J. C. Farman, B. G. Gardiner, and J. D. Shanklin. "Large losses of total ozone in Antarctica reveal seasonal ClOx/NOx interaction", Nature, 315 (1985) 207-210.

[9] S. Solomon. "Stratospheric ozone depletion: A review of concepts and history", Rev. Geophys., 37 (1999) 275-316.

[10] L. Barrie and U. Platt. "Arctic tropospheric chemistry: an overview", Tellus, 49B (1997) 450-454.

[11] ここでは主に成層圏のエアロゾルを取り上げます。成層圏のエアロゾルはかなり多くが液体とされますが、氷や硝酸3水和物結晶のように固体と同定されるものもあります[12]。ただ以下の議論の大部分は、これらや対流圏のエアロゾルを含めた一般的な凝縮相表面での現象にあてはまります。

[12] M. A. Torbert, "Sulfate Aerosols and Polar Stratospheric Cloud Formation", Science, 264 (1994) 527-528.

[13] C. E. Kolb, D. R. Worsnop, M. S. Zahniser, P. Davidovits, L. F. Keyser, M. T. Leu, M. J. Molina, D. R. Hanson, and A. R. Ravishankara. "Laboratory studies of atmospheric heterogeneous chemistry", in "Progress and Problems in Atmospheric Chemsitry", J. G. Barker, editor. Chap. 18, p 771-875. World Scientific, Singapore, 1995.

[14] G. M. Nathanson, P. Davidovits, D. R. Worsnop, and C. E. Kolb. "Dynamics and kinetics at the gas-liquid interface", J. Phys. Chem., 100 (1996) 13007-13020.

[15] J. T. Jayne, S. X. Duan, P. Davidovits, D. R. Worsnop, M. S. Zahniser, and C. E. Kolb. "Uptake of gas-phase alcohol and organic-acid molecules by water surfaces", J. Phys. Chem., 95 (1991) 6329-6336.

[16] M. A. Wilson and A. Pohorille. "Adsorption and solvation of ethanol at the water liquid-vapor interface: A molecular dynamics study", J. Phys. Chem. B, 101 (1997) 3130-3135.

[17] R. S. Taylor and B. C. Garrett. "Accommodation of alcohols by the liquid/vapor interface of water: Molecular dynamics study", J. Phys. Chem. B, 103 (1999) 844-851.

[18] P. Davidovits, J. H. Hu, D. R. Worsnop, M. S. Zahniser, and C. E. Kolb. "Entry of gas molecules into liquids", Faraday Discuss., 100 (1995) 65-82.

[19] 極地成層圏の冬に、結露温度(〜190K)より下がったときに生じるpolar stratospheric cloud type IIの成分です。mother-of-pearl cloudとして知られ、肉眼で見ても非常に美しい光景だそうです。

[20] R. Bianco and J. T. Hynes. "Ab initio study of the mechanism of chlorine nitrate hydrolysis on ice", J. Phys. Chem. A, 102 (1998) 309-314.

[21] A. W. Adamson and A. P. Gast. "Physical Chemistry of Surfaces", sixth edition, Wiley, New York, 1997.

[22] R. M. A. Azzam and N. M. Bashara. "Ellipsometry and Polarized Light", Elsevier, Amsterdam, 1977.

[23] Y. R. Shen. "Principle of Nonlinear Optics", Wiley, New York, 1984.

[24] Y. R. Shen. "Surface Spectroscopy by Nonlinear Optics", volume CXX of "Proc. Int. School of Physics, Enrico Fermi", T. W. Hansch and M. Inguscio, editors. North Holland, Amsterdam, 1994.

[25] P. B. Miranda and Y. R. Shen. "Liquid interfaces: A study by sum-frequency vibrational spectroscopy", J. Phys. Chem. B, 103 (1999) 3292-3307.

[26] A. Morita and J. T. Hynes. "A theoretical analysis of the sum frequency generation spectrum of the water surface", Chem. Phys., in press (2000).

[27] A. Morita and J. T. Hynes. in preparation.

[28] N2O5 + H2O → 2HNO3. この反応は、活性ハロゲン(X, XO)をより不活性型(XONO2)に変換するのに必要なNOxを気相中から取り除くことで、オゾン破壊を促進する役目をします。

[29] E. M. Knipping, M. J. Lakin, K. L. Foster, P. Jungwirth, D. J. Tobias, R. B. Gerber, D. Dabdub, and B. J. Finlayson-Pitts. "Experiments and simulations of ion-enhanced interfacial chemistry on aqueous NaCl aerosols", Science, 288 (2000) 301-306.

[30] C. Schnitzer, S. Baldelli, and M. J. Shultz. "Sum frequency generation by water on supercooled H2SO4 /H2O liquid solutions at stratospheric temperature", Chem. Phys. Lett., 313 (1999) 416-420.

[31] C. Raduge, V. Pflumio, and Y. R. Shen. "Surface vibrational spectroscopy of sulfuric acid-water mixtures at the liquid-vapor interface", Chem. Phys. Lett., 274 (1997) 140-144.

[32] S. Baldelli, C. Schnitzer, M. J. Shultz, and D. J. Campbell. "Sum frequency generation. general investigation of water at the surface of H2O /H2SO4 binary systems", J. Phys. Chem. B, 101 (1997) 10435-10441.

[33] K. S. Carslaw, T. Peter, and S. L. Clegg. "Modeling the composition of liquid stratospheric aerosols", Rev. Geophys., 35 (1997) 125-154.

[34] D. H. Fairbrother, H. Johnston, and G. Somorjai. "Electron spectroscopy studies of the surface composition in the H2SO4 /H2O binary system", J. Phys. Chem., 100 (1996) 13696-13700.

[35] T. Peter. "Microphysics and heterogeneous chemistry of polar stratospheric clouds", Annu. Rev. Phys. Chem., 48 (1997) 785-822.

[36] 私達は硫酸エアロゾル表面での硫酸分子のイオン化自由エネルギーをMDシミュレーションで求めることを試みましたが、通常の分子モデルを用いると極めてイオン濃度が高い媒質中ではイオン化状態が安定化されすぎるようで、定量的に信頼できる結果とならないようです。

[37] この方法は、私が滞在したHynes研究室での近年の一般手段です。(たとえば[20])

[38] R. Bianco, A. Morita, and J. T. Hynes, work in progress.

[39] J. K. Klassen, K. M. Fiehrer, and G. M. Nathanson. "Collisions of organic molecules with concentrated sulfuric acid: Scattering, trapping, and desorption", J. Phys. Chem. B, 101 (1997) 9098-9106.

[40] ただ、エタノール分子の水表面への吸着の場合、数10psecのシミュレーション時間内に吸着分子は完全に熱平衡に達するという議論はあります[16]。


Last modified Jul. 3, 2000 by A. Morita.
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