2005.5.28.
last revised 2007.9.13.

ホールピペットの標準的な操作法

吉村洋介

ホールピペット(全量ピペット。英語では one-mark pipette が正式らしい)は、中学や高校でも使うわけですが、その操作法の立ち入った内容については意外に知られていないようです。 特に問題はピペットの先端に残る最後の1滴の処理の方法で、国内外で取り扱いが違います。 ですから勉強家の学生さんで、外国の実験書を調べたりする人がいると、大いに混乱することになります。 ここでは標準化されたホールピペットで水を測り取る操作、特に先端に残る最後の一滴の処理の問題について紹介します。 同様の内容で以前「理科教室」誌に書いたことがあるのですが、これはそれを大幅に改訂・加筆したものです。

0.ホールピペットの精度と操作法の標準化

ホールピペットでどれだけ正確に液体を測り取ることができるかは、測り取った液体の重さを量って知ることができます。 この実験を 10 mL の容量のホールピペットで実際にやってみると、初心者でも 0.01 mL程度の精度を得ることができます。 ちょっと劫を経るとぼくのような未熟な者でも、標準偏差は 0.003 mL 程度に収まるようになります。 容量分析が専門の人なら、もっと安定した結果を出すでしょう。 水1滴が 0.05 mL 程度のものですから、1滴の数分の一、慣れれば十分の一以上の精度で再現性が得られるわけです。

このようにホールピペットというのは 1/1000 以上の精度が出る器具であるわけですが、その精度を引き出してやるにはホールピペットが正しく作られていることは当然のこと、正しく操作されなければなりません。 またこれが一般に普及し、だれもが同じように正確に一定体積を測り取れるようにするには、みんなが認める規格を作ること、標準化が必要になります。 そのような規格として、日本工業規格(JIS)や国際標準化機構(ISO)による規格があります。 また以前は計量法に基づいて国による規制がかけられていました。

1.ホールピペットの精度を決めるもの

1-1.用いる液体と温度

ホールピペットの精度といっても、測る液体によって精度は変わってきます。 ホールピペットは多くの場合、水・水溶液を測り取るのに用いられます。 また水は容易に手に入り、物性値もよく知られています。 そこで水を測る前提でたいていのホールピペットは作られており、ホールピペットの精度を調べるには水が用いられています。

体積は温度とともに変化します。 ホールピペットに用いられるガラスの膨張率はせいぜい 10-5 K-1 程度のもの(JIS R3505 では体積膨張率 1.65×10-5 K-1 以下)ですから問題になりませんが、室温付近で水の膨張率は 1/5000 K-1 程度で、数K の変化は精度に影響してきます。 さらに厄介なのは温度が変わると、後で問題にする水の排出速度や残着量が変化することです。 そこで 20℃で精度を調べることに約束しています(ISO では、熱帯の国では 27℃でも構わないことになっています)。

1-2.「入れる」ことと「出す」こと

ホールピペットは液体を吸って出す測容器。 普通のメスフラスコは「入れていくら」の測容器ですが、ホールピペットは「出していくら」の測容器です。 ですから「きちんと入れる」ことに加えて、「きちんと出す」分、考えないといけないことが多くなります。

この「入れる」「出す」双方に関わって、まずピペットが清浄であること、よく水に濡れることが第1のポイントです。 この洗浄法について ISO 4787 では (1) 水洗いなどした後、洗剤液を入れて振る、(2) それでも汚れていたら (a) 重クロム酸カリウムの硫酸飽和溶液か (b) 過マンガン酸カリウム溶液(30 g/L)と水酸化ナトリウム溶液(1 mol/L)の1:1混合溶液で数時間処理することが推奨されています。 (廃液の処理が簡単なように、発煙硫酸あるいは硝酸と過酸化水素の混合液なども用いられています。)

「きちんと入れる」には気泡が入っていないのは無論のこと、液面の位置を決め、ピペットの目盛りと合わさなければなければなりません。 それには「どこが液面か」、また「目盛りの位置をどこに取るか」を約束しておかないといけません。

特に問題は次の「きちんと出す」ところです。 出した後ピペット内部は濡れたままになっているわけですが、濡れて残る水の量(残着量)は 10 mL のピペットであればおよそ 0.08 mL (80 µL)程度。 ピペットの精度として 0.002 mL (2 µL)程度を出そうというなら、これを数パーセントオーダーまで制御しないといけません。 それには水を出す速度、そして最後にピペットの先に残る残滴の処理を決める必要があります。 以下ではそれぞれの操作について、標準化の状況を紹介します。

2.水面を目盛りに合わせる

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通常、ガラス管の中の液面は横から見ると三日月形(メニスカス meniscus。ギリシャ語で新月の意)に見えます。 メニスカスがきれいに再現性よくできるには、ガラスがよく濡れることが大切です。 このメニスカスの一番くぼんだ部分の高さを液面の高さとし、これを水平方向から見て、目盛りを読みます。

ところで目盛り線は細いとはいえ、やはり太さがあります。 10 mL のホールピペットであれば目盛り線の部分の内径はおよそ 4 mm 程度。 細かい話になりますが目盛り線の幅を0.2 mmとすると、目盛り線の中央に合わせるか上端に合わせるかで 1 µL 程度の違いが現れることになります。 気になる人には気になるところで、国際標準化機構(ISO)の測容器の取り扱い規定(ISO 4787)あるいは日本の旧計量器検定検査規則(第720条)では、メニスカスの一番深いところを目盛り線の上端に合わせることになっています。 ただし同じ ISO でもホールピペットの規格(ISO 648)では、メニスカスを目盛り線の上端に合わせるのと、目盛り線の中心に合わせるのと、どちらでもよいことになっています。


3.排出速度

ピペットから水を出す排出速度が速すぎると残着量が多くなり、あまりに遅いと作業の能率に差し支えます。 実際のピペットでは、先端の太さが適正な排出速度になるように調整してあります。 水の排出が止まったら、そこで次の残滴の処理の操作に移ればよいのです。

この排出の待ち時間について ISO では時間指定がない場合は 15〜40 秒ということになっています。 待ち時間 15 秒という指定のある場合は 8〜12 秒 (10 mL のホールピペットの場合。この場合の排水時間 15 秒というのは、一端水が出てから先端に残る残滴を処理する時間も含めたものです。もっとも、この排出時間を指定したピペットというのには、ぼくはまだお目にかかったことがありません)。 JIS では排水時間を 8〜40秒と大きくとって ISO との整合性を取っています(ISO では精度の劣る B クラスがこれと同じ設定)。

先端の欠けたピペットを使ったり、口から息を吹き込んで速く出そうとするのは、排出が十分でなくなるのでよくありません。 学生実験での経験では、先の欠けた 10 mL のピペットを使って 0.1 mL 採取量が減ったケースがありました。 指で穴をふさいでゆっくり出すと 0.05 mL ぐらい“回復”したのですが、先が大きく欠けていたので結局処分しました。

また水が出切るまではと、辛抱強く長時間粘るのもよくありません。 3年前、水を測り取る操作を天秤室の外、各自の実験机でやるように指示して、10 mL のピペットの容量を調べる実験課題を実施したことがありました。 外で測り取ると水の蒸発の影響などあり、低めの数字が出るかと思いの外、この時、10 mL を0.03 mL 以上も上回る結果を出す学生さんが5人ほども出て、むしろ高めの値が出る結果となりました。 当方で再チェックすると、いずれも規格内の品です。 よくよく事情を聞くと、自分の机で腰をすえ、1分以上がんばってピペットから水を「絞り出していた」のでした。

4.ホールピペットの残滴の処理 ―― 標準化が進んでいない部分

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水を出し切る段階でピペットの先に残った残滴、0.05 mL 程度の最後の一滴をどう処理するかには、国内外で扱いに差があります。 残滴の処理法はいろいろですが 、典型的には次の2通りです。 この2通りの方法で、実際に水を測りとって見ると、10 mL のピペットでは (1)の手法の方が(2)より 15 µL程度採取する水の量が少なくなります。 先に紹介したピペットの精度からいうと、深刻な偏差といわねばなりません 。 (他に「ピペットの先端で受器の器壁を擦る」という (1) の変形版もあります)

ぼくが以前試したところでは、採取する水の量の再現性は(1)の方がわずかに優れていました。 ただし粘い液体を扱ったりすることを考えると、(2)の方が液体の種類による採取容量のちがいは小さいでしょう。 現在、日本で市販されているピペットは (2) の方法で目盛り付けされています。

なおピペットの外側に付いた水については、採取した水の排出開始時と排出終了時で同じ状態に保たれているのが望ましいわけです。 水を入れた容器から水を採取した後、ピペットの先端部の外側に付いた水をティッシュペーパーなどで拭いたりするのは好ましくありません。 水を採取した後、水を入れたガラス容器の器壁にピペットの先端をあてがって余分の水をとってから、他の容器に水を出せばよいのです(ISO 648 にも同様の指示があります)。 当然ですが、ピペットのガラス管の外部はクレンザーなどで洗い、よく濡れる状態しておかないといけません。

4-1.旧計量法の体系の中で ―― 海外の規格との不整合

日本の分析化学の教科書では両論併記のまま、あるいは(1)にすべきだと書いてあったりします。 けれども昔のように、使用者がピペットの目盛り付けをしていた時代ならともかく、今日のように、市販のピペットをそのまま実験に使用することが多くなってくると、規格化、標準化が必要で、「自分の信じる道を行く」というわけにはいきません。 この残滴の処理法として日本で一般に行われてきたのは(2)の方法です。 なぜそうなったか、詳しい経緯は分かりませんが、その根拠は旧計量法の体系にあります。
先端排出部まで計量に用いられる全量ピペットから水を排出するときのその先端に残った水は、先端を受器にあてながら上端開口を指頭でふさぎ、胴部をたなごころによりあたためて排出するものとする。 ただし、この方法によっても排出されないとき、または化学用体積計が先端排出部分まで計量に用いられるメスピペットであるときは、軽く吹き出すものとする。(旧計量器検定検査規則第721条5項)
この規定に基づいて、1993年11月1日以前に作られたホールピペットは計量検定所で検定を受けていました (古いピペットには検定証印(正という字を囲ったようなマーク)が付されています)。 日本の市販のホールピペットをそのまま使う場合、(2)の手法によらねばならなかったのです。

 一方ISOでは(1)の手法が採用され ISO 648 では約 3 秒、器壁にピペットの先端をあてがって待つことになっています(排出時間指定のある場合は、指定時間まで)。 同時に排出方法もかなり細かく規定され、ピペットを少し傾けてガラス容器の器壁にピペットの先端が当たるようにして水を出し、排出時間そして待ち時間の間、ピペットの先端を器壁に対して動かしてはならないとしています(=ピペットの先端で器壁を擦ったりしてはいけない)。 使用方法・試験方法を定めた ISO4787でも「残滴は無理に取ってはならない」としています(文中の吹き出し(blow-out)ピペットはメスピペットの一種)。
The drop remaining in the jet shall not be expelled except in the case of "blow-out" type pipettes in which the last drop forms a part of the volume to be delivered (see IS0 835/4). ...
ぼくの目に触れた欧米の教科書でもすべて(1)の手法を採用しています。

4-2.新計量法の下での空白

1992年(施行は1993年)計量法の体系の大幅な組換えが行われ、旧計量法は廃止されました (「計量の日」が、旧法公布の6月7日から、現計量法施行の11月1日になったのもこの時)。 新計量法の下、ホールピペットなどは「特定計量器」の指定をはずれ、検定の対象外になりました。 代わって日本工業規格(JIS)がホールピペットの規格を定める役回りになったわけですが、ホールピペットの残滴の処理については国際規格に合わせる取り決めができず、今のJIS R3505 には残滴の処理の記載がありません。 JIS R3505 添付の解説には次のようにあります
「・・・ 今日に至って、これ(←JISとISOの不一致のこと)を一掃し、全面的にISOに整合させるまでには至らなかった。 すなわち全量ピペットの残滴の処理方法、ビュレット、ピペットの排水時間の短さ、ゲルベル乳脂計の日本独自の開発などである。
 これらについては、多少の相違はあるにしてもISO規格を包含するよう、その範囲を広めるなど、ほぼISOの同規格に整合させることにした。・・・」
つまりJISでは「何も書かない」ことで、残滴の処理法についてのISOとの不整合をクリアしたことにしたわけです。

計量法という後ろ盾を失い、JISにも記載がないという状態ですから、現在日本で市販されているホールピペットについては、最後の一滴をどう処理するかについての明文上の規格は存在しない状態になっています。

5.おわりに

規格がない一種の真空状態の中、現在ホールピペットの業界では旧計量器検定検査規則に従って工場で検定し出荷しているとのことです。 いわば暗黙の「業界標準」で通用させているわけです。

日本の市販のホールピペットの残滴の処理法は今のところ、旧計量法当時と同じです。 当化学教室の学生実験でも、市販のホールピペットをそのまま使い、「最後の1滴は絞り出せ」と指導して、それで所定の容量が得られています。 けれども海外の安価なホールピペットが日本に流れ込んでくる、あるいは海外の業者が日本でホールピペットの製造販売を始めるようになったりすると事態は混乱することでしょう。 学生実験で見ていると、使っているホールピペットの寿命はおおよそ10年ぐらいと思われます。 10年ぐらいかけて国内外のギャップを埋める対策が、早期にとられることを期待しています。

ホールピペットは分析化学の研究室ではいつも身近にあるものでした。それだけにわずかな操作にいたるまで研ぎ澄まされ、ほぼ完成した技術になっているといえるでしょう。 でもそれが標準化される過程は、決して平坦なものではないということは興味深いことだと思います。

最後になりましたが、宮原計量器製作所の宮原博さん、日本計量振興協会の藤田益司さんからはいろいろ貴重な情報をいただきました。記して謝意を表します。

参考文献


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