2003.8.24.
2005.6.1. ちょっと修正

学生実験では以前より、吸光光度法による定量実験を3回生の前期に課してきました(主には鉄-フェナンスロリン錯体による鉄の定量。銅-ネオクプロイン錯体の溶媒抽出・定量を、「廃液の分析」という課題の形で試みたこともありましたが、難度がいささか高かったので現在は行っていません)。 しかし、講義と実験の進度がうまくマッチしないこともあって、何も分からないままに終わってしまうことが間々あるようです。 そこで今年は実験の前に少し踏み込んだ説明を行うことにしました。 以下はその説明用の文書です。


光吸収を用いた溶液中の化学種の定量

吉村 洋介

1.ランベルト・ベールの法則

厚さ d 濃度 c の溶液に光が入ってきたとしましょう。 この時入射光の強度 I0 と透過光の強度 I との間に、一般にランベルト・ベールの法則* と呼ばれる次の関係が成り立ちます:

- log (I/I0) = ε c d

ここで -log(I/I0) を吸光度、ε を吸光係数と呼びます。 ですから光の進む距離 d と吸光係数 ε が分かっておれば、入射光と透過光の強度比を測定することで、溶液の濃度を知ることができることになります。 通常の吸光光度法による測定では光路長は 1 cm に設定され、濃度は mol L-1 で表されるので、しばしば吸光係数は mol-1 L cm-1 単位で与えられます。

* 関係者の名をどのような順番で並べ、またどのように読むかでいろんな呼び方があります。 ブーゲ・ベールの法則、ブーゲ・ランベルト・ベールの法則、ベール・ブーゲ・ランベルトの法則、ブーゲ・ベール・ランベルトの法則・・・。ランベルトをランバート、ベールをビーア(ビア、ベアとするのもあります。ビールとしたものは未見)とすることもあります。 これはもともとBouguer(Bougerとも綴る)が、透過する長さに応じて光の強度が一定割合で減少するとし(1730年ごろ)、それにLambertが数式による表現を与え(1760年ごろ)、さらにBeerが溶質の濃度との関係を付け加える (1850年ごろ)ことで整った形になったことによります。 ブーゲとランベルトのどちらを重視するかには、そもそもの学問分野の伝統(地球科学関係の人たちはブーゲの名前を出すのを好む傾向があるようです)とともに、フランスとドイツのどちらを取るかといったナショナルな問題もあるようです。

2.ランベルト・ベールの法則の分子論的背景

1個の分子があたかも日傘のように振る舞い、その面積が σ であったとしましょう。 すると単位断面積に入射してきた光の強度は1個の分子に遮(さえぎ)られることで 1 - σ になります。 光は分子に遮られた後すぐに回折して影ができないものとし、それぞれの分子が独立に挙動するなら、N 個の分子があれば光の強度は次のように表わされます。

I = I0 (1 - σ )N

光の通過する長さを d、分子の数密度を c とすれば N = cd なので吸光度は次のように表現できます。

- log (I/I0) = − log (1 - σ)N
≒ log(e) σ c d

ここで σ は 1 より十分小さいものとしました(log(e) は約0.434 になります)。 この式から先の吸光係数 ε が分子の断面積に相当するものであることがわかります。

ここで前節で紹介した単位 mol-1 L cm-1 で見た時に、吸光係数がどれぐらいの大きさになるか考えて見ましょう。 分子の断面積がおよそ1 Å 四方、10-20 m2 程度のものであるとしてみます。 リットルが立方デシメートル dm3 であることに注意すると吸光係数の大きさは次のように評価できます。

ε / (mol-1 L cm-1) = ε / (0.1 m2 mol-1)
〜 0.4 × 10-20 m2 / (0.1 m2 mol-1)
= 0.4 × 10-19 mol
= 0.4 × 10-19 × 6 × 1023
〜 20000

実際、よく光を吸収する分子について測定された吸光係数は数万 mol-1 L cm-1 の値をとります。 したがって光の強度を 1 %ぐらいまで、吸光度にしておよそ 0.01 のオーダーまで正確に測れるとすると、吸光光度法ではおよそ10-6 mol L-1 のオーダー、ppb〜ppmオーダーぐらいまでの測定が可能であることになります。

3.光の吸収と散乱

人間の目に感じる光はおおむね 400〜800 nmの波長を持ちます。 2章では分子が日傘のように振舞うと考えたのですが、分子はどんな光でも 100% 吸収するわけではありません。 分子が光を吸収する効率は光の波長によって大きく変化し、このことがさまざまな彩りを世界に与えているのです。

光の波長による吸光係数の変化のようすを吸収スペクトルと呼びます。 一般に吸収スペクトルは、分子の内部のエネルギー順位が離散的であることを反映して、いくつかのピークを持つスペクトルとなります。 気相中での分子の吸収スペクトルは鋭い線スペクトルの様相を呈することが多いのですが、溶液中の吸収スペクトルは通常、図1に示すように数十nmの幅を持つ比較的なだらかなピークからなります。

光の透過率に寄与するのは、分子による光の吸収(そして吸収された光のエネルギーは熱になったり、分子の分解が起きたりします)だけではありません。 光の散乱、あるいは表面での光の反射によっても透過率は変動します。 コロイド溶液で見られるチンダル現象のように、光が散乱されて透過光が減少する場合には、スペクトルに明瞭なピークは現れません。 図2には光散乱による典型的な吸光度変化を示しました。 光の波長が散乱する粒子のサイズ程度になると散乱が顕著になるために、低波長側にいくに従って急速に吸光度の増大がおきています。 このことを積極的に利用して、濁りを定量しようというものが濁度計といわれるものです。

ABSDEMO_BTB
図1.種々の pH 条件における BTB 指示薬の吸収スペクトル。BTB は通常、酸性では黄色、塩基性では青色だが、濃塩酸中など強酸性では赤橙色となる。
ABSDEMO_TIARA
図2.市販のミルク紅茶を希釈して測った吸収スペクトル。低波長側に行くにしたがって、光の散乱が強く起きるようになり、光の吸収も見かけ上大きくなる。

溶液中での光の波長以下の微視的なスケールでの問題以外に、光の透過率には巨視的な媒質間における光の反射が影響を及ぼします* 。 空気中でガラスの板に垂直方向に光が入射したとすると、ガラス板の表面の状況にもよりますが、おおむね 4% 程度の光が反射するとみることができます。 したがってガラスの容器の中の溶液の吸光度を測る時には、この反射の効果で吸光度が 0.04 程度かさ上げされることになります。 あるいは溶液中に気泡が存在する場合、気泡の表面での反射が起きると透過光量が変動します。

* 一般に媒質の境界では光の反射が起きます。透磁率が同じなら、垂直入射の場合の反射率はそれぞれの媒質の屈折率 n1、n2 を用いて [(n1 - n2)/(n1 + n2)]2で評価されます。このあたりの事情は、横波と縦波の違いはありますが屈折率を音響インピーダンス(音速に密度をかけたもの)で置き換えれば、音波でも同じです。

4.測定の実際

溶液の吸光度を正確に求めるには光源の強度、容器(光学セル)表面での光の反射の影響などが安定していることが必要になります。 またランベルト-ベールの法則からの偏差や注目する波長の選択、吸光度の大きさの設定についても考慮が必要です。

4−1.参照溶液

測定に当たっては、(ほとんど)同じ反射特性を持つ光学セルを用いて、注目する溶質が含まれない溶液(ブランク。参照溶液)の透過光の強さと、実際の試料溶液の透過光の強さを比較して、両者の比から吸光度を求めます。 今回用いるダブルビーム型の分光光度計は、同じ光源からの光を2つに分けて参照側と試料側に通しその比を見ることで、光源の時間的な変動の影響を打ち消し、安定な結果が出るようにしています。 このようにしても、参照側と試料側に使っている光学セルの反射率が微妙に異なったりする(セルのミスマッチ)ので、同じブランクの溶液を入れて吸光度が0になるように調整してから測定を行うのが一般です(これを注目する波長域全体について行うのを「ベースライン補正」といいます)。

4−2.光学セル

よく光吸収の測定に用いられる光学セルは、光路長が 1 cm で断面が正方形の直方体のガラス製(プラスチック製のものもあります)の容器で、光を透過する面は透明でそれに垂直な面は曇りガラスになっています(手で持つときは、曇りガラスになっている面を指で挟んで持ちます。くれぐれも光を透過する面を指で触らないように!)。 種々のガラスが用いられていますが、紫外部(おおむね200 nm〜350 nm)まで透過する石英ガラス製のもの(通常「石英セル」と呼ばれます。いささかお高い)と紫外部に吸収を持つ硬質ガラス製のもの(通常「ガラスセル」と呼ばれる)に大別できます。

4−3.検量線

ABSWC_TIARA
図3.市販のミルク紅茶を希釈した時の種々の波長での吸光度の検量線(図2参照)。 濃度が高くなるにつれ、吸光度が低濃度のデータからランベルト-ベールの法則を用いて予想される値(図中の緑の点線)より小さくなっている。

元来、吸光係数は諸条件が決まれば物質固有の値になるはずです。 けれども実際には分光器の性能、光学セルの寸法精度などによって数%のオーダーでの変動が生まれえます。 このため精密な測定に当たっては、濃度既知の試料について吸光度を測定して、濃度と吸光度の関係(「検量線」と呼ばれます)を予め定めておくことが必要になります。 検量線が定まれば、未知試料の吸光度から逆に未知試料の濃度が定まります。 また図3に一例を示しますが、サンプルによっては濃度が高くなるにしたがってランベルト-ベールの法則から外れる場合もあるので、検量線の作成は重要です(2章の議論を思い出してもらえれば、光を吸収する分子間に何らかの相関があったりすると、ランベルト-ベールの法則からの偏差が出てくるであろうことがお分かりいただけるでしょう)。


4−4.測定波長・吸光度の設定

1章、2章の話からすると、原理的には光の吸収のある波長ならばどの波長を選んでもよいわけです。 けれども実際には光の検出はある有限の波長幅の光の強度を積算することで得られています。 このため吸光度の測定は吸光度の変動の少ない波長、つまり吸収極大波長で行うのがよいのです(原理的には極小でもよいが吸光度が小さいところに注目するのはかなり特殊な場合)*

光の吸収が余りに大きいと光の強度比の測定は困難になり、通常の装置では吸光度が2を超えると精密な測定は望めません。 また光の強度の測定誤差が光の強度によらず一定であるとすると、吸光度が log e = 0.434 付近でもっとも相対誤差が小さくなります。 したがって精密な測定には、吸光度が 0.4 程度になるように条件を調整するのが望ましいのです**

* 極端な話 ±5 nm、10 nm の範囲の光を積算して光の吸収を測っていて、溶液が 550 nm に ±10 nm、20 nm の幅の階段型の吸収スペクトルを示すとしましょう。 この時 540 nm ±5 nm の範囲の光を積算して吸光度を評価したとすると、濃度が高くなってどんなに 550 nm の吸収が大きくなっても 535 から 540 nm の領域には影響が及びませんから、測定される吸光度は約 0.3 (= - log (5/10))以上にはなりません。

** 濃度の相対誤差δc/cを透過光の強度で表現すると-δI/[I log (I/I0)] に比例することに注意します。 I log (I/I0) は、吸光度 -log (I/I0) が log e の時に極大になります。


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