特別プロジェクト

メンバー

特定助教 唐島 秀太郎
博士研究員 小原 祐樹
博士研究員 Srijon GHOSH

研究内容

分子を構成する電子と原子核は質量が大きく異なるため、化学反応は高速な電子運動が与える力を受けて、原子核が時々刻々と位置を変化させる運動です。この力は電子運動のエネルギーの地形(ポテンシャル曲面)の傾きとして表せます。量子力学に従って、分子の電子状態は多数存在し、従ってポテンシャルエネルギー曲面が接近したり交差したりします。高速・高効率な反応は、ほぼ例外なくポテンシャル曲面間の接近や交差を利用して、乗り移り(非断熱遷移)を行います。この乗り移りが、反応経路、確率、分岐比の大部分を決定します。例えば、図1は1,3-cyclohexadiene(CHD)から1,3,5-hexatriene(HT)への電子開環反応の模式図を示していますが、注目すべき点は、光吸収によって到達するCHDの電子励起状態(11B)のポテンシャル曲面がHTの基底電子状態(11A)には繋がっていないことです。HTの基底電子状態は、二電子励起状態(21A)を介した2回の非断熱遷移を経てはじめて生成が可能になります。最近の我々の研究で、このCHD分子の開環反応が二電子状態を経ること、そして反応がわずか60 フェムト秒(6 × 10-14秒)以内に起こることが明らかになりました。

図1 CHDの電子配置と開環反応に関与する電子状態のポテンシャル曲面の模式図

化学者は化学反応の最も基本的な制御方法として溶媒効果を用いています。溶媒はなぜ反応を変化させるのでしょうか。溶媒の静電的な特性(電荷や分極)が溶質の電子状態のエネルギーを変化させることや、水のように水素結合による秩序だった構造を形成すること、さらに反応する溶質分子と同程度に高速な応答をして渾然一体となって運動する動的な効果があると考えられます。特に溶媒が水の場合には、溶質と溶媒の間で電子・プロトン移動が起こったり、溶質の電子の溶媒への非局在化(電子雲の染みだし)が起こります。本プロジェクトでは、非断熱化学反応と溶媒の関わりを解明して溶液反応の詳細を理解したいと考えています。生体細胞の70%は水であり、地球表面の70%は海洋です。生命・環境・エネルギー等の様々な分野にとって、水溶液中や気液界面の化学反応の重要性は論を待ちません。当研究室では、気相孤立と溶液・界面での光化学反応を極限的な時間分解能を持つXUV光電子分光によってリアルタイム観測し、反応途上に起こる電子状態の高速な変化と反応経路を明らかにする研究を進めています。超高速光電子分光は、時々刻々と反応する分子に光を照射して、放出される電子の運動エネルギーを測定し電子状態を調べる実験手法です。電子を観測するためには高い真空度の装置が要求されるため、揮発性の液体試料に光電子分光を適用することは困難でしたが、ミクロンオーダーの直径を持つ液体流を導入して実現しています。また、レーザー光はテーブルトップの大きさながら、あらゆる分子がイオン化できる15-60 eVの高いエネルギーの光を高次高調波発生と呼ばれる先端手法で発生しています。

これらの実験と並行して、分子の赤外スペクトルや紫外スペクトルを高い時間分解能で測定する過渡吸収分光法や、液体中の分子の運動を予測する分子動力学計算や量子化学計算を行い、国内外の理論研究グループとも密接な共同研究を推進しています。

1. 気相・液相分子の超高速極端紫外光電子分光

紫外光によって気相あるいは液相の分子を光励起し、その後の化学反応を極端紫外光パルスによる光電子分光によってリアルタイムに追跡します。極端紫外光は高次高調波発生(HHG)と呼ばれる手法で、テーブルトップのレーザーから発生されます。その光子エネルギーは20 eV以上あり、あらゆる過渡化学種のイオン化エネルギーを超えるエネルギーを持つため、全ての過渡化学種や生成物のリアルタイムな検出を可能にしています。同一の分子を気相と液相で比較することによって、溶媒の与える化学反応への影響が解明できます。2023年に発表した核酸塩基の超高速電子緩和過程の研究では、気相孤立分子と水溶液中の核酸塩基について大きく異なるダイナミクスと反応時間を観測し、明瞭な置換基効果を明らかにすることに成功しました。

2. 液相分子の赤外・深紫外過渡吸収分光

光電子分光は、分子内の電子状態変化を追跡する強力な手段ですが、分子構造や振動周波数に関する情報は限られます。そこで、サブピコ秒の時間分解能で赤外過渡吸収分光を行い、反応途上にある分子の振動スペクトルを観測しています。また、可視紫外の過渡吸収分光は、光電子分光では識別しにくい化学種あるいは状態を研究する上で有効な情報を与えます。光電子分光が全ての分子を観測できるように、赤外分光も(分子振動をもたない分子が無いことから)あらゆる過渡化学種と生成物が検出できる利点があります。ただ、溶媒和された分子の赤外スペクトルは熱運動による水素結合状態の揺らぎによって、スペクトルの解釈が困難になります。そこで、分子動力学計算や量子化学計算を援用した解釈を進めています。深紫外過渡吸収分光は、実験例の少ない方法で、偏光依存性の解析等によって新たな情報が得られています。

3. 新光源・実験手法の開発

液体の超高速光電子分光は、気相の光電子分光と比較して空間電荷効果(光電子同士の反発)の影響を受けやすいため、100 kHzレベルの高繰り返し光源による極端紫外光電子分光の開発を行っています。また、時間分解能を極限的に高めるために、レーザーパルスを10 fs程度まで時間圧縮し、これまでに無い時間分解能で極端紫外光電子分光を進めています。