.イオン液体中における分子拡散ダイナミクス

イオン液体中での分子の並進拡散運動は、その電気伝導性と密接にかかわりあっているばかりでなく、イオン液体中での二分子反応を議論する際にも非常に重要である。これまで電気伝導性との関連から構成イオンの拡散係数は非常に詳細に検討されてきたが、イオン液体中にとけた溶質分子、特に電気的に中性の分子についてはこれまでほとんど研究がないのが現状である。そのためイオン液体中での二分子反応の解析にはしばしばStokes-Einstein(SE)の関係式

が用いられてきた。ここでCは定数、hは溶媒の粘度、rは問題とする分子の半径である。しかしながらイオン液体中でSE関係式が成立する保証はどこにもない。実際、二分子反応速度はしばしばSEの予測よりも速く起こることが報告されている。

我々はイオン液体中での並進ダイナミクスの詳細を明らかにするため、TG法をもちいて拡散ダイナミクスの評価を進めている。その際、単純な安定分子のみならず、反応中間体ラジカルの拡散にも着目し、拡散律速反応との関連の検討をおこなった。

1.ベンゾフェノンケチルラジカルおよびジフェニルシクロプロぺノン

測定対象としてまず、ベンゾフェノン (BP)の水素引き抜き反応(ケチルラジカル生成)ならびにジフェニルシクロプロペノン(DPCP)の光解離反応二つの系を選択した。これらは分子サイズが比較的同じであるが、それぞれの分子の電子状態の違いから溶質・溶媒分子間の相互作用がことなり、それが拡散ダイナミクスに反映されることが期待される。

説明: 説明: diffusion1.png

 測定の結果えられた拡散係数を溶媒の粘度に対してプロットしたのが下図である。図に示されるようにイオン液体中の分子の拡散係数は基本的にはSE則には従わず、むしろSE速から予測されるよりは速く拡散することが明らかとなった。またその違いは分子サイズの小さいものの方が顕著である。一方で、反応中間ラジカルであるベンゾフェノンケチルラジカルについては非常によくSE則に従うことがわかった。反応中間体ラジカルはこれまでの研究により、通常の安定分子よりも溶媒分子と強く相互作用しており、同じサイズの分子に比べて遅く拡散することが分かっている。強い相互作用の一因としては溶媒の揺らぎによる局所的な電荷揺らぎがラジカルの分極を大きくするメカニズムが提案されている。もしこのメカニズムがイオン液体にもあてはまるのであればカチオンおよびアニオンから構成されるイオン液体ではラジカルの感じる局所的な電荷揺らぎが大きくなるものと期待され、イオン液体中ではラジカルの拡散がより遅くなることが期待されるが、我々の実験結果はその予測を裏付けるものとなっている。

 

2.ジヨウ化物イオンの拡散と拡散律速反応

ヨウ化物イオンを光励起すると電子を放出し、生成したヨウ素原子とヨウ化物イオンが反応し、ジヨウ化物イオンが生成する。このジヨウ化物イオンはお互いの不均化反応によりトリヨウカ物イオンとヨウ化物イオンにもどる。

高橋らはこのジヨウ化物イオンの不均化反応速度を過渡吸収分光法により測定し(K. Takahashi et al., J. Phys. Chem. B, 111, 4807 (2007))、反応速度がDebye-Sumoluchowskiの見積もりよりも早いことを見出し、電荷の効果が遮蔽されると解釈した。ただし、彼らはSE式を用いて拡散係数を評価しており、これは必ずしも正しい予測を与えないことは前述のとおりである。そこで我々はTG法をもちいて、ジヨウ化物イオンの拡散係数を評価した。

TG法でもとめた拡散係数を他の類似の大きさの分子と比較した結果を図に示す。

図に示されるようにジヨウ化物イオンはSEの予測より2倍程度速い速度で拡散することがわかる。これは電荷をもたない類似の大きさの分子と比較するとかなり遅い値となっており、イオン液体中ではクーロン相互作用により拡散が遅くなっていることが示された。さらに得られた拡散係数から不均化反応に対する拡散律速反応速度を評価すると表のようになった。

アルコール溶媒中ではDebye-Sumoluchowskiのモデルが実験結果をよく再現し、ジヨウ化物イオン間の電荷反発の効果が顕著にみられるのに対し、イオン液体中の結果では単純はSumoluchowskiの式が実験結果をよく再現することが明らかとなった。この結果は電荷の効果が遮蔽されていることを明らかにしたものである。

 

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