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蛋白質拡散係数を測定する新規手法の開発とその応用


はじめに


   多くの生体内反応は、蛋白質が生体内を移動し構造変化することで起こる。蛋白質の構造変化を調べる手法には、CD、吸収、蛍光、小角X線測定など多くの分光学的手法があり、これまで数多くの研究が行われている。一方、蛋白質の動きやすさは拡散定数という物理量で表される。拡散係数は、蛋白質の構造(大きさ、形)変化や、蛋白質と周囲の溶媒の相互作用に影響されるため、蛋白質がかかわる生体反応の重要な基礎情報となる。
   蛋白質の拡散定数は、約10-10m2s-1のオーダーである。すなわち、1秒間に10μmしか動かない。したがって、長時間観測するか、あるいは微小な変位を観測することになる。これまで良く用いられている手法には、Dynamic light scattering(DLS)やPulsed-field-gradient NMR(PFG-NMR)などがあるが、長時間積算する必要がありあまり簡便ではなかった。そこで、我々は蛋白質拡散係数を簡便に短時間で測定できる手法を開発することにした。基礎となる手法はTransient Grating法(TG法)である。TG法は光反応性分子の並進拡散を、非常に短時間で観測できる。なぜなら、TG法において分子が拡散する領域は、レーザーにより過渡的に形成された数μmというgrating間だからである。しかも、TG法は3次の非線形分光法であるため、観測される信号は指向性の良い散乱ビームであり(検出効率が高い)、その強度は各レーザー光強度の積で大きくなる。すなわち、非常にS/Nのよい信号を短時間で得ることができる。

TG法の説明


   TG法では、まず、2本のpump光をサンプルセル上で交差させ干渉させる。その結果、サンプル内で光の強い部分が周期的に形成され、光強度の干渉縞を形成する。そうすると、光の当たっている領域では分子が光反応し、反応物から生成物に変換される。光のあたっていない領域では反応物のままである。すなわち、今度は生成物と反応物の干渉縞ができる。これは、通常は、生成物と反応物で屈折率が異なるので、屈折率の差の空間分布となる。 ここにprobe光(CW)が入射されていると、この屈折率の空間分布が回折格子としてはたらき、probe光がBragg条件を満たす角度に回折される。この回折光を光電子増倍管で検出する。 時間がたつと、拡散により、反応物と生成物とは混じりあい、回折格子は消滅していく。この過程に伴う回折光強度の時間変化をオシロスコープで検出する。減衰時定数から拡散係数がもとまる。
TG
TG_intensity
TG信号強度は、屈折率変化(δn; 生成物なら正、反応物なら負)の2乗で表されるため、信号がベースラインで折り返され、山形の信号ができる。

新規拡散係数測定法(TG−HSAB法)


   TG法で拡散を観測できるための条件としては、分子が光反応しなければならない。しかし蛋白質の多くが光反応性でない。そのため、我々は蛋白質を光反応性の低分子でラベルした。その際、sample preparationを簡単にするため、蛋白質と自発的に反応するsuccinimidyl基をもつ分子を選んだ(sulfo-HSAB)。
HSAB_reaction
   測定の結果、大きな蛋白質ほど、TG信号の減衰が遅くなった。この結果は、大きな蛋白質ほど拡散が遅いという妥当な結果である。得られた拡散係数は、これまでの報告値とよく一致した。
HSAB_result



TG-HSAB法の応用  〜ミオグロビンの酸変性:拡散係数とタンパク質構造の相関〜


   次に上記手法を用いて、ミオグロビンの拡散係数を測定した。
   ミオグロビンは、筋肉中で酸素を貯蔵する役目を担っている。構造は、A〜Hまで8本のへリックスとそれに非共有結合している鉄ポルフィリン(ヘム)から成る。ミオグロビンは酸性条件(pH2)で、二状態的に酸変性する。このときヘムは溶媒に露出し、有機溶媒を加えて攪拌することで、ヘムを取り除くことができる。pHを中性に戻すとミオグロビンはヘムがなくても、ヘムがあったときと非常に似た構造をとることがNMRにより示されている。ヘムが無いミオグロビンをアポミオグロビンという(ヘムがある場合を特にホロミオグロビンと呼ぶときもある)。アポミオグロビンはへリックスのみから成る非常にシンプルな構造をしているため、pH-jumpを用いた蛋白質リフォールディング研究によく用いられている。その結果、アポミオグロビンは2つの中間状態(I1,I2)を経て、folded状態へ折りたたまることが示された。
   興味深いことに、アポミオグロビンは酸変性において、pH4で中間体をもつことがCD測定から示された。その後、このpH4平衡中間体は、pH-jump実験で観測されたI2中間体と似た構造をもつことが示された。すなわち、実験が容易な平衡中間体を用いることで、簡単にkinetic中間体の特徴づけができる。
   今回、我々はこの中間体の拡散係数を測定し、溶媒との相互作用を主に調べることにした。
Mb
得られた拡散係数のpH変化を222nmのCD値と比較した。
result_holoMb result_apoMb
   その結果、ホロミオグロビンでは、拡散係数とCDの変化は一致したが、アポミオグロビンでは、pH4付近で両者にずれが見られた。すなわち、中間体ではfolded構造に比べて二次構造が減少しているにもかかわらず、拡散係数はそれほど大きく変化しない。むしろ、pH4以下の領域で大きく変化している。これについて、まず回転半径のデータを用いて考えてみる。蛋白質の回転半径から拡散係数を予想する式(by He et al. (Biotechnology Progress, 2003))、
Equation_He
を用いると、pH7〜4の拡散係数変化は回転半径変化だけで説明できたが、pH4以降の大きな拡散係数変化は説明できなかった。このことは、folded状態と異なり、pH2のunfolded状態ではミオグロビンと溶媒との相互作用が強くなっているためと考えられる。3次構造がほどけることで、アミノ酸主鎖のペプチド水素結合が蛋白内水素結合から溶媒分子との分子間水素結合に変わったためと推測される。
   次に、Nishii et al.(Biochemistry, 1994)が報告している定圧比熱のデータと比較した。定圧比熱は、蛋白質の溶媒接触表面積に比例する。
Mb_D_Cp
   その結果、拡散係数Dと定圧比熱僂pの変化は一致しなかった。とくにpH4では拡散係数はfoldedに近い値を示す一方で、定圧比熱はunfoldedに近い値を示した。どちらも蛋白質-溶媒相互作用をあらわす物理量にもかかわらず、ずれが見られたのは奇妙である。しかし、このことはアポミオグロビンpH4中間体疎水核内部に水分子がいくつかトラップされていると考えると解決される。蛋白質内部にトラップされた水分子は蛋白質とともに拡散するため、拡散係数には影響を与えない。
trapped_water
 このような水分子を介した疎水結合は、アポミオグロビンだけでなく、Arai et. al.(1996)によりα-ラクトアルブミンのフォールディング中間体でも重要であると考えられている。